奈良地方裁判所葛城支部 昭和33年(ワ)51号 判決 1960年2月12日
原告 国
訴訟代理人 平田浩 外三名
被告 河合ヒサ
主文
被告は原告に対し金六五二、八五八円とこれに対する昭和三一年五月二六日から完済まで年五分の金員を支払え
訴訟費用は被告の負担とする
この判決は仮に執行することができる
事実
原告は主文一、二項同旨の判決と仮執行の宣言を求め、その請求原因として
一、被告は原告(所管庁郵政省簡易保険局長)との間に別表(一)記載のとおり被保険者を訴外池内一三(以下単に訴外人と略省する)保険金受取人を被告とする終身保険一三件保険金合計金一〇〇〇、〇〇〇円の簡易生命保険契約を締結し、昭和三一年二月一〇日訴外人が死亡したので、原告は右保険契約に基き被告に対して同年四月二五日から同年五月二五日までの間に別表(二)記載のとおり保険金等合計金九九一、〇〇三円を支払つた。
二、しかるに、前記の各保険契約はいずれも訴外人の同意を得ないで締結されたものであるから簡易生命保険法八条に違反した無効の契約で、被告は法律上の原因なくして原告の出損により右金九九一、〇〇三円を利得し原告に同額の損害を及ぼしたことに帰着し、かつ、被告はその利得当時からその情を知つていたものである。
三、そこで、原告は被告に対し右不当利得金中被告が既に返還した金三三八、一四五円を控除した残金六五二、八五八円とこれに対する最後の不当利得金授受の日の翌日である昭和三一年五月二六日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めると述べ、更に被告の主張に対し次のとおり述べた。
一、本件各保険契約の加入の勧誘をした橿原郵便局保険外務員峰竹末一、熊本重治、松井義一において被保険者である訴外人の同意なき事実を知つていたことは認めるが簡易生命保険契約の締結に関する事項は簡易生命保険法三条一項により郵政省簡易保険局長が国の代表機関として行うものとされ同条二項に基く昭和二四年一一月二日簡易保険局長通達郵保業二九八号簡易生命保険契約及び郵便年金契約に関し簡易保険局長の有する職権の委任について二項より地方簡易保険局長に保険契約の申込の承諾及び拒絶を行うことが委任されているしかし郵便局長にはそのような権限の委任がなく(同通達一項)ましてその部下職員である保険外務員には申込の承諾拒絶をする権限はなく単に保険課に所属する職員として郵便局組織規定一六条所定の事務を行うことができるのみであつて保険契約の締結については申込を勧誘し保険申込の取次をする等募集に関する事務に従事するに止まるすなわち保険外務員は保険契約の締結については何等権限のない単なる意思表示の伝達機関であるに過ぎない、従つて保険契約の申込があつたときにこのような地位にある保険外務員が被保険者である訴外人の同意をえてないことを知つていたとしてもこれをもつて保険者である原告もまたこれを知つていたということはできない、
二、本険保険契約の保険金合計額が、契約成立当時の被保険者一人についての保険金最高制限額金八万円を超過することは認めるが、超過部分の契約が無効であるとの主張は争う、簡易生命保険法の保険金最高額制限の定めは単に民間の生命保険企業を圧迫することを避けようという政策的考慮から設けられている訓示規定に過ぎずこれに違反したからといつて一旦締結された契約を無効と解すべきいわれはない。
三、被告は原告の使用人を信頼して契約を締結したもので善意の保険金取得者であると主張されるが第三者を被保険者とする保険契約においてはその者の同意を必要とすることは簡易生命保険約款一〇条に明記されているところであつて被告が外務員を信頼して契約を締結したからといつて善意の取得者ということはできない。このように述べた被告は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張の請求原因事実のうち一記載の事実は認めるがその余の事実は争う。
一、本件各保険契約については被保険者である訴外人の同意を得ていた。その事情を述べると、当時橿原郵便局保険外務員峰竹末一、熊本重治、松井義一が割当額消化と成績向上のため再三被告方を訪れ懇望するので、被告は既に老令の未亡人で子供はいずれも独立して他に居住し保険加入の必要なく、被告は独り住居であるので亡夫藤三郎の知人で懇意であり被告方所有家屋に居住していた訴外人夫婦の同意を得、万一の時は一部の贈与の約束で訴外人を被保険者とし保険に加入したもので、昭和二八年七月以来三年余に亘つて毎月掛金をし続け訴外人の妻が先に死亡し次いで被保険者の訴外人が昭和三一年二月一〇日死亡したので右のように訴外人の同意ある以上被告が保険金を受領できるのは当然である。
二、仮にそうでないとしても、右峰竹、熊本が訴外人の同意を得てないことを知り乍ら申込書表面被保険者申込欄と裏面承認欄に何人のものかわからぬ拇印を押捺し同意ありたりとなしかつ面接した如く記載し虚偽の文書を作成し原告に伝達被告との間に契約を締結したもので従つて伝達機関が無効契約であることを知つていた瑕疵は原告においても同様無効であることを知つて保険契約を締結したことになり、そして訴外人死亡により原告は保険金支払義務がないのに支払を完了したものであつて債務不存在を知り乍ら給付したことになるからこれが返還請求は非債弁済として請求しうるものではない。
三、仮にそうでないとしても、本件保険契約は、簡易生命保険法所定の最高額を超過するもので超過部分の契約は無効でありたとえ分割しても脱法行為として同様無効である、そして被保険者の死亡により無効契約であることを知り乍ら支払を完了しているから非債弁済として返還請求権はない。
四、仮にそうでないとしても、被告は老令の未亡人で原告の使用人を信頼して契約を締結したものであつて有効に支払を受けた善意の利得者でありかつ、利得金は残金二〇万円を郵政監察官に寄託した以外全部生活費以外に浪費若くは贈与しているので現存利益はない、従つて返還義務はない。
このように述べた。
証拠<省略>
理由
一、被告は原告(所管庁郵政省簡易保険局長)との間に別表(一)記載のとおり被保険者を訴外人保険金受取人を被告とする終身保険一三件保険金合計金一、〇〇〇、〇〇〇円の簡易生命保険契約を締結し、昭和三一年二月一〇日訴外人が死亡したので原告は右保険契約に基き被告に対して同年四月二五日から同年五月二五日までの間に別表(二)記載のとおり保険金等合計金九九一、〇〇三円を支払つたこと。
以上の事実は当事者間に争いがない。
二、そこで先づ本件各保険契約が訴外人の同意を得た上で締結されたものか、どうかについて考える。証人池内雄一、同熊本重治、同峰竹末一の各証言によると、被告は訴外人の同意を得ずして本件各保険契約を締結したこと、なおこれを聞及んだ訴外人は知らぬうちに被保険者にされて中風で死ぬのを家主である被告が待つているのかと述べて憤慨していたことが認められ、これに反するが如き被告本人尋問の結果は採用できず、他に右認定に反する証拠はない、そうすると本件各保険契約は訴外人の同意を得ないで締結されたものであるから、利害関係が些少であるにもかかわらず濫に他人の生命を保険に附し賭博類似の契約をなす弊害を防止する趣旨に出ずると解される簡易生命保険法八条に違反しいずれも無効のものと云うべきである。
三、次に被告は、係保険外務員が被保険者の同意をえず無効契約であることを知つていたのであるから原告も無効契約であることを知つていたことに帰着し保険金支払義務がないのにかかわらずそれを支払つているから非債弁済である旨抗争するのでこの点について検討する。本件各保険契約の加入の勧誘をした橿原郵便局保険外務員峰竹末一、熊本重治、松井義一において被保険者である訴外人の同意がなかつた事実を知つていたことについては当事者間に争いのないところであるしかしながら現行法制上簡易生命保険契約の締結権は簡易保険局長にあり保険外務員は簡易生命保険契約の申込について承諾すべき何等の権限はなく、保険契約の締結についてその申込を勧誘し、申込の取次をする等募集に関する事務をつかさどるに止る蓋し、保険外務員の給与は歩合制を加味されているので収入多からんことを希求する余りかつ割当成績を上げんことをあせる余り本来保険契約を締結すべきでない場合も往々保険の申込を承諾することがありうるのでその上部機関において外務員が勧誘した保険契約の申込を検討しうべき余地を残さねばならないからである、すなわち保険外務員は保険契約の締結に当つて締結についての代理人たる地位を有せず単なる意思表示の伝達機関であるに過ぎないものと解すべきところ、たとえこのような地位にある保険外務員が被保険者の同意を得てないことを知つていたとしてもこれをもつて直ちに保険者である原告もまたこれを知つていたということはできないものと考えるべきである、そして被告の全立証によるも原告の代表機関である郵政省簡易保険局長、その委任を受けている地方簡易保険局長において本件各保険契約が訴外人の同意をえず無効の契約であることを知つていたことは認めることができない、そうすると、被告の主張二、は理由がない。
四、次に被告は、本件保険契約は簡易生命保険法所定の最高額を超過するもので超過部分の契約は無効でありたとえ数口に分割したとしても脱法行為であり原告は無効契約であることを知り乍ら保険金を支払つているから非債弁済である旨抗争するので判断する。本件保険契約の保険金合計額が契約成立当時の被保険者一人についての保険金最高制限額金八万円を超過することについては当事者間に争いがない、ところで簡易生命保険法の保険金最高額制限の定めは民間の生命保険企業を圧迫することを避けようという政策的考慮から設けられている訓示規定に過ぎないものと解すべきであるから行政指導の上ではその遵守が要請されようが、これに違反したからといつて一旦締結された契約を無効と解すべきではない、そして証人関秀夫、同酢田敬一郎、同熊本重治の各証言によると、現に超過保険契約の場合と雖難も保険金の支払がなされている実情であることが窺知される(若し被告のいうように超過保険契約を無効と解するにおいては、保険外務員が募集成績を良くし収入多きを希求する余り行政指導によるも今なお跡をたたない超過保険の一切の場合につき国が一旦契約しながら超過部分の保険金支払義務を免れることになるから、かような考は採れない)そうすると被告の主張三、も失当である。
五、更に利得者である被告が利得当時善意であつたか悪意であつたかの点について考察する。前記認定のとおり被告は別表(一)(二)のとおり一三口の本件保険契約を順次締結しそして昭和三一年四月二五日から同年五月二五日までの間数回にわたつて保険金等合計金九九一、〇〇三円を利得しているのであつて、その保険金額、口数、継続期間その他弁論の全趣旨に徴すると、被告は保険金を受取つた当時本件各保険契約の締結に当り訴外人の同意を得ず従つて無効契約で元来保険金を受領できないことを知り乍ら利得したことが推認される、そしてこれに反する確証は採用し難い被告本人の供述の外にはない、なお被告が老令の未亡人で原告の使用人を信頼して契約を締結したとみても、それのみをもつて、被告が利得時に善意であつたということはできない、従つて被告の主張四、も採用できない。
六、以上のとおりだとすると、被告は法律上の原因なくして原告の出捐により保険金等金九九一、〇〇三円をその情を知り乍ら利得し原告の同額の損害を及ぼしたことになるので、原告に対し、右不当利得金中被告が既に返還した金三三八、一四五円を控除した残金六五二、八五八円とこれに対する最後の不当利得金授受の日の翌日であること当事者間に争いない昭和三一年五月二六日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負うものといわなければならない、原告の請求は正当であるから認容し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 倉橋良寿)
別表(一)、(二)<省略>